「バンク・オブ・トーキョー」と、両替やポンド紙幣のこと

1.前回のブログでは、ドル紙幣の写真を載せて、1ドルと5ドルの肖像は誰でしょう?と書いたのですが、もちろん、ワシントンとリンカーンの2人の大統領です。

 

 

2.また、今も残るニューヨークの「バンク・オブ・トーキョー」ビルについて触れました。昔の銀行についてコメントを頂き、有難かったです。

(写真1-横浜正金銀行

 

Masuiさんからは、

――「東京の麻布の坂や町の名前が昔は歴史や景観を彷彿させるものがあったが、最近の地名は味気なくなった。

会社の名前もそうで、横浜正金や東京銀行などなくなり寂しい・・・」

という会話をお昼時にたまたま奥様としておられた直後に私のブログをみて、「我々の話が聞こえたようで不思議に思い、コメントした。Bank of Tokyo Building の話は社員でない私にも嬉しい、ほっとする気持ちです」――

と頂きました。

 

 

私も麻布の辺りは中高の6年間を通ったところなので、本当にそう思います。「坂」は仙台坂、鳥居坂などまだ残っているようですが、霞町、笄(こうがい)町、材木町などたくさんの名前が無くなりました。

 

 

3.他方で岡村さんのコメントには、

――添乗業務で初めて欧州に行ったとき、外貨や小切手は東京銀行に再三顔を出し教えを乞いました。いずれも親切に教えて下さいました。

(当時はまだユーロがなかったので)両替に苦労した。余ったポンド(英)フラン(仏)マルク(独)を持って帰国した。

「日本の銀行は何処も替えてくれません。東京銀行だけが全ての通貨を替えてくれて、やっと精算が出来ました。

・・・・一つ一つ懐かしい、いい思い出です――

とありました。

少しはお役に立った銀行だったんだなと嬉しく思いながら拝見しました。

 

 

(写真2-ユーロ)

 

4.また岡村さんは、

「営業マンがヨーロッパを添乗すると体重で5キロ減り、精算で5万円足りなくなると言われています。」とも書いておられ、たしかに添乗業務はたいへんだろうなと思いました。「清算で5万円足りなくなる」とは両替で通貨を変えていくうちに計算が混乱してくるということでしょう。手数料を取られて目減りすることもあったでしょう。

 

これもユーロ導入前の話ですが、ロンドン支店に勤務していたとき、出張で来られたある日本企業の方に、両替の手数料が高いと言われたことがあります。

「例えば、日本から10万円を持って、まずロンドンでポンドの現金に換え、今度はドイツでマルクに、という具合に(当時の)EC12か国を順番に旅行して、最後にまた英国に戻ってポンドを円に換えて残りを日本に持ち帰ろうとすると(何も使わず、両替をしただけで)当初の10万円がほとんどゼロになってしまうという話を聞きましたが、本当でしょうか?」

 

という質問をされて、答えに窮したことを思い出しました。

真偽のほどは私にはいまも分かりません。

もともと私は銀行勤務といっても,計算や数字にうとく、家人からも「あなた本当に銀行で働いていたの?」と何度呆れられたかわかりません。

しかし、両替手数料が高いという気持ちは理解できるように思いました。。

その時は、

外国通貨の売買というのは、在庫を保有し、保険料や輸送料を払うのにコストがかかります。商品と考えて頂きたいのです」と弁解したような記憶があります。

 

 

5.いまは、とくに若い方は海外旅行でもカード決済が主流かもしれませんが、それで

も現金も少しは持参される筈です。

ECはその後EU となり、加盟27か国、うち17か国で統一通貨ユーロが導入され、残りの10か国も今後の導入を検討中の国が多い。

欧州大陸を国境を越えて旅しても、岡村さんのような苦労をする必要は大きく減り、便利な時代になりました。

(写真3-ポンド紙幣)

ところがご承知の通り、EUで独仏に続いて経済規模第3位の英国は、相変わらずポンドを使っています。

ということで、現在流通している英国の5ポンドと10ポンド紙幣の裏面の肖像(写真)は誰でしょう?

5ポンドは、言わずとしれたウィンストン・チャーチル

 

そして10ポンドは、19世紀前半、『高慢と偏見』でよく知られる小説家ジェイン・オースティンです。

 

因みに、英国紙幣の表(おもて)はもちろん即位以来エリザべス女王ですが、裏面の肖像は10年から20年ぐらいの周期で人物が変わるようです。

チャーチルは2016年から、オースティンは2017年からと比較的最近です(女性はナイチンゲール以来2人目)。20ポンド紙幣はいまはアダム・スミスですが、2020年から画家のターナーになることが決まっています。

 

 

6.単一通貨ユーロの誕生は1999年1月1日ですが、長い準備期間を経て導入されました。

この間、英国は一貫してポンド維持の立場を譲りませんでした。1979~90年と長く首相の座にあったサッチャーは「国の通貨管理はその国の政府が行うべき」と真っ向から反対した。

(写真4-エコノミスト誌)

 

 

 

いま、BrexitをめぐるEUと英国との対立、英国政府と議会の混迷ぶりをみていると、ユーロ導入をめぐる歴史を思いおこします。

たまたま、1月26日号のエコノミスト誌は「英仏海峡の霧,英国もその隣人もお互いを理解していない(Fog in the Channel)」と題するコラム記事を載せています。

 

欧州駐在の同誌の記者の目で書いた記事ですが、Brexitの根っこには、英国と大陸諸国との間には大きな「文化」の違いがあり、双方ともにそこを十分に理解していない。

従って問題の根は深い、という指摘をしています。

同誌が言いたいことを私流にまとめると以下の通りです。

 

(1)英国が島国であり大陸と孤立していながら、しかも長く国際政治の超大国であっ

たという誇りを捨てきれないこと。

(2)一方に判例法、他方で成文法という法体系の違いと過去の体験も大きい。

英国は、ルールは変えるためにあるという考えをしがちである。

しかし、専制や独裁に支配されたことのないプラグマティックな英国と異なり、ルールが適切に適用されなかった場合に起きる事態への恐怖感は、戦争の傷跡の残る大陸諸国では大きい。

(3)英国の貴族の暮らしを描いた「ダウントン・アビー」のテレビドラマを長く見すぎ

たせいか、大陸諸国は英国人の保守主義を過大評価しがちである。

しかし、実は英国人はときに過激になり、変革を恐れない。二大政党の対抗意識(ということは、階級間の意識の違い)も大きい。

 

 

大陸諸国はそういった英国の国民性を十分には理解していない・・・・・

英仏海峡を隔てる違いは大きい、根は深い」と今更、エコノミスト誌に言われても困ってしまうのですが、

それにしてもBrexitをめぐる英国の混迷は、同じ島国日本の一庶民にとっても大いに気になります。